社長おーだーの部屋

有限会社小田商店 代表取締役 小田大輔
「癸卯の年に思うこと」
 あっというまに卯になりました。光陰矢の如し、すごいスピードで50歳の歳はおわりました。
昨年につづき今年も変化の多い年になりそうです。
いま、滞在型のインターンシップをやってますので、滞在して当社でインターンシップ・アルバイトに興味がある方おいでましたらお越しください。
またただ単に滞在する食客型滞在も受け入れています。現在滞在できる物件が1つなので、ふさがっていなければ、大丈夫ですのでお問い合わせください。
 

講演会等のご案内

なにげに2023年始からいろいろお話する機会が増えています。ご興味ありましたらご参加ください。
 
2月9日「徳島経済研究所 DX推進セミナー」で登壇します
2023年2月9日(木)「徳島経済研究所 DX推進セミナー」を開催します。 | 公益財団法人徳島経済研究所
徳島経済研究所 DX推進セミナー(リーフレット) PDF 徳島経済研究所 DX推進セミナー 日時:2023(令和5)年2月9日(火)14:00~15:20 (第一部:講演(40分程度)  第二部:弊所研究員とトークセッション+質疑応答(40分程度)) 会場:阿波銀行本店営業部3階 + Zoom のハイブリッド開催    (新型コロナウイルスの感染状況により、オンライン開催のみに変更する可能性がございます) テーマ:「IT化を続けてわが社の経営はこう変わった‼」 講師:有限会社小田商店 代表取締役 小田 大輔 氏 [講師プロフィール] 1972年、徳島市生まれ。現在51歳。1996年、24歳で実家の小田商店入社。翌年、父親の引退宣言により25歳で会社を引き継ぎ経営者になる。引き継いだ当時は経営の素人であったがゆえに、経営数字が即時に把握できない状況に対して余計に課題意識を持つことになる。悩みながら解決に取り組み始め、試行錯誤を重ねてきた。2006年ごろになってようやく成果が出始め、その後も長い間IT化を進めてきた。こうした取り組みの中、昔は10年かかったものが今では1年ぐらいでやれるのではないか、と実感している。これまで進めてきたIT化についてお話ししたい。 参加費:無料 定員:会場 50名 + Zoom 100名(先着順) 主催:公益財団法人徳島経済研究所 後援:株式会社阿波銀行 ■オンライン視聴の場合はWi-Fi環境下など、動画を見ることができる環境下での参加をお勧めいたします。(インターネット通信料は各自のご負担となります) ■映像や音声の録画、撮影、録音はご遠慮ください。
 
1972年徳島生まれ 51歳 辛亥うまれ
(ページ下部の経歴等を请参照)
 
 

社長の活動いろいろコーナー

「おーだー旅日記」

小田大輔が書いているnoteの記事「おーだー旅日記」
ほぼ毎日更新で頑張ってましたが、現在ペースダウンです笑。しわしわいきます(阿波弁)
有料記事が多いですが、面白そうなら記事ご購入ください。
たくさん読むならメンバーシップがお得です。
 

小田大輔個人ページ

プライベートメモ的なページです。不定期更新です。
 

経歴等

ご自由にご使用ください。長いのが必要なら、当社ホームページ、DX匍匐推進室等を参照ください。
 

(234文字)

1972年徳島市生まれ、51歳。1996年24歳で実家の小田商店入社。1997年に父親の引退宣言により25歳で経営者になる。すべて紙伝票で事務処理する状況だった。売上や利益といった数字が毎日即時に把握できない。社員と経営者がビジネスの結果である数字をもとにした話し合いができない。経営の素人は余計に課題意識をもった。果敢に解決に取り組むが、短期的な成果が出ず悩んだ。成果が出始めたのは、10年ほどたった2006年くらいだった。昔は10年かかった。現代は1年位でやれるのではないか。取り組みをお話したい。
 

(209文字)

1972年徳島市生まれ、51歳。1996年24歳で実家の小田商店入社。1997年に父親の引退宣言により25歳で経営者になる。すべて紙伝票で事務処理する状況だった。売上や利益といった数字が毎日即時に把握できない。社員と経営者がビジネスの結果である数字をもとにした話し合いができない。経営の素人は余計に課題意識をもった。成果が出始めたのは、10年ほどたった2006年くらいだった。昔は10年かかった。現代は1年位でやれるのではないか。取り組みをお話したい。
 

(89文字)

1972年徳島市生まれ、51歳。1996年24歳で実家の小田商店入社。1997年に父親の引退宣言により25歳で経営者になる。売上や利益といった経営数字が毎日即時に把握できない課題に取り組み課題解決した。
 

文字制限なしで書いているもの

学生の頃より寝付きが悪く、眠くなるために読書をしたらと母親にすすめられて、以来ずっと読書を続ける。主に歴史の本が好き。時代小説から歴史研究書まで幅広く読む。中学時代よりパソコン等に通じITリテラシーを向上させる。
1987年より高校生になって地学部に入り、天体観測と称して学校で泊まったり友人らと野外観測へ行っていた。望遠鏡を操作し、天体写真撮影をしていた。
1989年2月に友人らと通信販売で300bpsのモデムを買い、パソコン通信をはじめ世界が広がる。
1991年に通っていた穴吹電子ビジネス専門学校で情報工学を学んで第二種情報処理技術者資格を取得した。COBOLがいやで、マシン語のCASLで受験した。
1992年に徳島海南天文台という私設天文台の設立に参加し、代表の橋本就安さんらと設立。
1994年に人工衛星の研究家だった橋本就安さんが、NASAから紙で送られてきていた人工衛星の軌道要素が紙送付廃止になり、インターネット経由でゴダードスペースフライトセンターのサーバにアクセスするようになるということで、接続のお手伝いをすることで、インターネットを知る。当時木星にシューメーカー・レヴィ第9彗星が衝突するということで、画像がGopherサービスでNANAのサイトより取得できて、友人が通う大阪大学の情報センターで見せてもらってインターネットやべえと興奮する。
1995年10月 商用のインターネットサービスが始まって、友人のインターネット接続サポートをする。このころ初めてHTMLを書いて海南天文台のホームページをつくる。
1996年6月 実家の有限会社小田商店に入社
1997年11月 山一證券が経営破たんし、持ち株が紙になった父親がこれを期に引退した。
書こうと思うエポックメモ
1999年
2004年
2006年
2009年